われわれがよく聞く『日本建築』とは、何なのか? そもそも、何が『日本的』なのか?
本展では『日本建築』というイメージを、建築史家・建築家・地域の人々、という三つの視点による複数のまなざし=『自画像』として紹介します。設計図・写真に加え、建築模型や動画を用いた立体的な展示構成から、『日本建築』を取り巻く時代背景や思想にも注目します。さらに瀬戸内や沖縄といった地域からみえる、『日本』のありようにも目配りすることで、改めて『日本建築』とは何かを問いかけます。
【第一の自画像 : アイデンティティを求めて 生み出された歴史】
明治時代以降の近代化(西洋化)が進む中で、建築(史)家らが日本的なアイデンティティを求めていった姿を紹介します。
海外の博覧会で日本建築の典型として出品されたパビリオンや法隆寺金堂などの建築模型、法隆寺などの「古建築」の中に「日本」を求めて自らの制作した建築に投影していった伊東忠太(1867~1954年)の仕事や、日本建築の原型と考えられた「神明造」などの神社建築や竪穴住居の復元を巡る動きなどを取り上げます。
また、香川県三木町出身の鎌倉芳太郎(1898~1983年)が、大正~昭和初期に沖縄で調査した民家や集落、首里城などの写真と記録(鎌倉芳太郎資料、重要文化財)を公開します。
【第二の自画像 : 建築家たちの日本 伝統からの創造】
建築家たちが、獲得した「日本的」なイメージや「伝統」をもとに、新しい「日本的」な建築を創造していった姿を紹介します。
「日本趣味」として問われた瓦屋根を載せた東京帝室博物館(現東京国立博物館本館)の「帝冠様式」をはじめ、丹下健三(1913~2005年)のコンクリートなどの近代的な素材を利用して柱や梁による日本の伝統を再構成した香川県庁舎(1958年)、大江宏(1913~1989年)のコンクリートの主構造の内側に繊細な木組や工芸的意匠の家具で「日本的空間」を表現した香川県文化会館(1965年)など戦後のモダニズム建築を取り上げます。
また、モダニズム建築が追及した合理性・機能性への反論として過去の建築様式の形や装飾を創作に活かそうと1980年代に登場したポストモダン建築として石井和紘(1944~2015年)の直島町役場(1982年)や、1990年代以降に建築家の藤森照信が自らの建築史研究をベースに行ったモダニズムでもポストモダンでもない新たな建築へのアプローチを紹介します。
【第三の自画像 : つむぎ出された日本 地域、風土、コミュニティ】
「日本建築」が制作される場からのアプローチとして、地域の人々が日々の生活や風土の中から蓄積されてきた建築の姿を紹介します。
瀬戸内の海と山が近いという環境の特性を活かした建築として、厳島神社(平安時代 広島県)や豊楽寺薬師堂(鎌倉時代 高知県)と、鳴門市文化会館(増田友也 1982竣工)や瀬戸内海歴史民俗資料館(山本忠司 1973)を比較し過去から現代へつながる地域性を浮かび上がらせます。
また、女木島と宇多津など瀬戸内の島々の集落や港町のフィールドワークの成果や、身近な存在の民家建築を取り上げ、実業家白洲次郎の武相荘(東京都)にみられる使いこなし方や、「四方蓋」と呼ばれる香川県・徳島県西部特有の屋根構造をもつ民家形式の分布と歴史・環境との関連性を紹介します。